切れ切れ爺さんのつれづれ日記

京都の寺社紹介と多様な社会問題・闘病記等

八坂神社~西方寺 京都府八幡市

八坂神社

 

 八坂神社というのは普通は、京都市の東山にある同名神社を指している。ここが全国にある多数の八坂神社の総本社であるということになっている。祭神は明治までは牛頭天王が中心であり、明治以降になると素戔嗚尊となった。基本的には神仏習合の神であり、明治の神仏分離令により牛頭天皇の象徴的な役割が消去され、改めて同一視されていた素戔嗚尊が祭神という扱いになった。
 ここ八幡市にある八坂神社は、式内社として知られる内神社のすぐ近くにある。石鳥居の額には八坂神社の浮き彫りが見える。しかしそれ以外の情報は一切ない。第一、鳥居の風化具合を見るとかなり新しく、また小さな境内を取り囲む石の柵も同様に新しさを感じる。小ぶりな祠についても木造だが、やはりさほど古さは感じさせない。さほど遠くない時期に再整備されたんだろうと思われる。おそらく内神社などとともにかなり以前からこの地にあったものだと考えられる。
 この地域に住んでいた人たちが、平安京で大いに尊崇されている、そして様々な意味で栄えている祇園さんをこの地にも勧請して、この地域の発展を願うために名づけられたのではないか、と感じられる。何分にも一切情報がないので、あくまでも単なる推測でしかない。どうしても約100mほど離れた内神社の方が目立ってしまう。神社の規模も由緒も相当な違いがあることは確かだろうし、文化財に指定されている旧本殿が今も残っている。
 果たしてここの八坂神社の役割とはどういったものだったんだろうか。ひょっとして大元の八坂神社とは全く無関係かもしれない。実際そういうケースもあるようだ。
  


西方寺

  

 西方寺という名前は全国各地にある。ここ八幡市の西方寺は、浄土宗のお寺で本尊は阿弥陀如来法然の念仏により救われると言う、庶民誰にでも可能なお参りを可能とした宗派のお寺であり、地域の人々の信仰の大事な場となっている。有名な式内社である内神社のすぐ近くだ。比較的小さな集落の中にある。
 境内はきれいに整備されており、お寺らしいお寺と言える。石地蔵が集められて並べられている。そのすぐ横に丸瓦があり、そこに書かれた説明によると、浄土宗の総本山である知恩院の御影堂が建立された際の、実際に使われていた瓦だと言う。江戸時代初期なので約400年経つものだ。瓦一つだけでは文化財指定にはならないだろうが、そういった由緒があるものがこの小さなお寺にあるというのも、なんとも京都らしいといえば京都らしい。