2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧
『観音寺 京田辺市普賢寺下大門一三番地 真言宗智山派に属し、大御堂とも普賢寺とも呼ばれる。 寺伝によると、天武天皇の勅願で義淵僧正が親山寺(筒城寺)を建立し、奈良時代に聖武天皇の勅願により、天平十六年(七四四)良弁僧正が再び造営し、伽藍を増築…
『観音寺 京田辺市普賢寺下大門一三番地 真言宗智山派に属し、大御堂とも普賢寺とも呼ばれる。 寺伝によると、天武天皇の勅願で義淵僧正が親山寺(筒城寺)を建立し、奈良時代に聖武天皇の勅願により、天平十六年(七四四)良弁僧正が再び造営し、伽藍を増築…
『花山稲荷神社 社伝によれば、延喜三年(九〇三)醍醐天皇の勅命により国と民を護るために創建されたといわれ、祭神は、宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)、大土之御祖大神(おおつちのみおやのおお…
『花山稲荷神社 社伝によれば、延喜三年(九〇三)醍醐天皇の勅命により国と民を護るために創建されたといわれ、祭神は、宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)、大土之御祖大神(おおつちのみおやのおお…
向日神社の近くにあるこの二つのお寺は、その名前から類推されるように、元は一つのお寺であった。鎌倉時代に創建された真言宗の真言寺というお寺があり、それが後に日蓮宗に改宗され、名前も真経寺となる。そして江戸時代に入り二つに分離されて、それぞれ…
向日神社の近くにあるこの二つのお寺は、その名前から類推されるように、元は一つのお寺であった。鎌倉時代に創建された真言宗の真言寺というお寺があり、それが後に日蓮宗に改宗され、名前も真経寺となる。そして江戸時代に入り二つに分離されて、それぞれ…
『長法寺 天台宗延暦寺の末寺。洛酉観音霊場第九番札所。 本尊、十一面観世音菩薩。 寺伝によると、延喜年間(九〇一~九二三)園城寺・(滋賀県大津市三井寺)で修行した千観和上が開いたとされる。 かつて平安時代の仏画の二大傑作の一つと言われた「釈迦金棺…
『長法寺 天台宗延暦寺の末寺。洛酉観音霊場第九番札所。 本尊、十一面観世音菩薩。 寺伝によると、延喜年間(九〇一~九二三)園城寺・(滋賀県大津市三井寺)で修行した千観和上が開いたとされる。 かつて平安時代の仏画の二大傑作の一つと言われた「釈迦金棺…
『羽束師坐高御産日神社 御祭神 高皇産霊神(タカミムスヒノカミ) 神皇産霊神(カミムスヒノカミ) <御鎮座> 当神社は雄略天皇二十一年(四七七)に創祀され生成霊カの御神徳をおもちの皇産霊神二柱を奉斉しています。皇産霊を <生産の神> 「ミムスヒ」と言い…
『羽束師坐高御産日神社 御祭神 高皇産霊神(タカミムスヒノカミ) 神皇産霊神(カミムスヒノカミ) <御鎮座> 当神社は雄略天皇二十一年(四七七)に創祀され生成霊カの御神徳をおもちの皇産霊神二柱を奉斉しています。皇産霊を <生産の神> 「ミムスヒ」と言い…
『平井神社の由来 当平井神社は平川地区の氏神として、古くから人々の信頼を集めてきました。参道入口の鳥居には、「貞享二年(一六八五)に牛頭天王の鳥居を再興した」という意味の文字が刻まれています。そこにかいてあるように、平井神社は江戸時代の牛頭天…
『平井神社の由来 当平井神社は平川地区の氏神として、古くから人々の信頼を集めてきました。参道入口の鳥居には、「貞享二年(一六八五)に牛頭天王の鳥居を再興した」という意味の文字が刻まれています。そこにかいてあるように、平井神社は江戸時代の牛頭天…
『大原野神社 延暦三年(七八四)の長岡京遷都に際し、桓武天皇の皇后である藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良・春日大社をこの地に勧請し、都の守護神としたのが起こりと伝えられる。嘉祥三年(八五〇)、藤原冬嗣を祖父とする文徳天皇により壮麗な社殿が造営…
『大原野神社 延暦三年(七八四)の長岡京遷都に際し、桓武天皇の皇后である藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良・春日大社をこの地に勧請し、都の守護神としたのが起こりと伝えられる。嘉祥三年(八五〇)、藤原冬嗣を祖父とする文徳天皇により壮麗な社殿が造営…
『城南宮 平安遷都の際、都の南に国の守護神として創建され、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、神功皇后をお祀りする。平安時代の末、白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営されると一層崇められ、城南祭では流鏑馬や競馬…
『城南宮 平安遷都の際、都の南に国の守護神として創建され、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、神功皇后をお祀りする。平安時代の末、白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営されると一層崇められ、城南祭では流鏑馬や競馬…
『真宗大谷派 山科別院 長福寺 真宗大谷派山科別院長福寺は、 元文元年(一七三六年)に建立された。山科は、 蓮如上人が山科本願寺(一四八二年~一五三三年)を建立した地であり、上人の真宗再興が実現された場であった。 江戸時代のはじめ、本願寺は東西両派…
『真宗大谷派 山科別院 長福寺 真宗大谷派山科別院長福寺は、 元文元年(一七三六年)に建立された。山科は、 蓮如上人が山科本願寺(一四八二年~一五三三年)を建立した地であり、上人の真宗再興が実現された場であった。 江戸時代のはじめ、本願寺は東西両派…
『甘南備寺 かんなびじ 京田辺市薪山垣外111番地 黄檗宗の寺院で山号を医王山と称する。大和吉野下市にあった黄檗僧鉄堂道融(一六三〇~一七〇二)が、貞享二年(一六八五) に山城に行脚した際に薪村庄屋の吉川氏に会い、請われて翌年この地に復興された甘南備…
『甘南備寺 かんなびじ 京田辺市薪山垣外111番地 黄檗宗の寺院で山号を医王山と称する。大和吉野下市にあった黄檗僧鉄堂道融(一六三〇~一七〇二)が、貞享二年(一六八五) に山城に行脚した際に薪村庄屋の吉川氏に会い、請われて翌年この地に復興された甘南備…
『泉涌寺塔頭準別格本山 一條殿 新善光寺 寛元元年(一二四三)、後嵯峨天皇の勅願により創立、本尊は信州善光寺阿弥陀如来と同仏同体に鋳造された鎌倉時代の作である 後嵯峨天皇は常に宮中に安置なされ、都の内外万民に至るまで信濃の国へは遠き山路を越え、…
『泉涌寺塔頭準別格本山 一條殿 新善光寺 寛元元年(一二四三)、後嵯峨天皇の勅願により創立、本尊は信州善光寺阿弥陀如来と同仏同体に鋳造された鎌倉時代の作である 後嵯峨天皇は常に宮中に安置なされ、都の内外万民に至るまで信濃の国へは遠き山路を越え、…
ネットの総合ニュースサイトを読んでいると、予想はしていたもののとうとうこんな実態が現れたことにびっくり、と同時にやっぱりなと思った。 保守本家と言われる富山県の実態だ。昨日の段階で自民党富山県連が関係者の集会を持って、旧統一教会との接点をな…
ネットの総合ニュースサイトを読んでいると、予想はしていたもののとうとうこんな実態が現れたことにびっくり、と同時にやっぱりなと思った。 保守本家と言われる富山県の実態だ。昨日の段階で自民党富山県連が関係者の集会を持って、旧統一教会との接点をな…
本満寺は京都御苑の北側数百mのところにある。一年中通して様々な花に彩られており、特に山門を入ったところのしだれ桜は非常に有名で、シーズンになると大勢の人がカメラを持って取り囲んでいる。 日蓮宗本山のお寺で室町時代初期に創建された。当時は本願…
本満寺は京都御苑の北側数百mのところにある。一年中通して様々な花に彩られており、特に山門を入ったところのしだれ桜は非常に有名で、シーズンになると大勢の人がカメラを持って取り囲んでいる。 日蓮宗本山のお寺で室町時代初期に創建された。当時は本願…
九条通りから東福寺へ向かう道を入り、何度か左折右折繰り返し進んでいくと、いくつかのお寺が並んでいる。そのうちの一つが「善慧院。」しかしお寺の山門の看板を見てみると、「明暗寺」と言う名前の方が大きく非常によく目立つ。 この場所は今まで数え切れ…
九条通りから東福寺へ向かう道を入り、何度か左折右折繰り返し進んでいくと、いくつかのお寺が並んでいる。そのうちの一つが「善慧院。」しかしお寺の山門の看板を見てみると、「明暗寺」と言う名前の方が大きく非常によく目立つ。 この場所は今まで数え切れ…
『運河沿い』 『長建寺 東光山と号し、真言宗醍醐派に属する。八臂弁財天(鎌倉時代後期作)を本尊とし、一般に「島の弁天さん」の名で知られている。元禄十二年(一六九九)、伏見奉行建部内匠頭攻宇が、中書島を開拓するに当たり、深草大亀谷即成就院の塔頭多…
『運河沿い』 『長建寺 東光山と号し、真言宗醍醐派に属する。八臂弁財天(鎌倉時代後期作)を本尊とし、一般に「島の弁天さん」の名で知られている。元禄十二年(一六九九)、伏見奉行建部内匠頭攻宇が、中書島を開拓するに当たり、深草大亀谷即成就院の塔頭多…