2025-12-01から1ヶ月間の記事一覧
『乙訓寺 真言宗豊山派長谷寺の末寺。洛西観音霊場第六番札所。本尊、合体大師像。 寺伝によれば、推古天皇の勅願によって聖徳太子が開いたとされる。長岡に都があった延暦四年(七八五)に早良親王(桓武天皇の弟)が幽閉された地として、また嵯峨天皇の弘仁二…
総門 (重要文化財) 『深草山(じんそうざん)と号する日蓮宗の寺院である。 寺伝によれば、藤原基経(もとつね)が発願し、昌泰2年(899)藤原時平(ときひら)が大成した極楽寺(ごくらくじ)に始まるといわれる。当初は真言宗であったが、徳治2年(…
大山崎町は歴史的に見て、ずっと昔から今に至るまで交通の要衝地となる。主要な川が合流する場でもあり、山崎の合戦もこの地で行われた重要な場所だ。今現在では山が迫る狭小地に JR東海道本線、阪急京都線、そして駅はもちろんないが東海道新幹線が走り、国…
『智積院 真言宗智山派の総本山で全国に三〇〇〇余の末寺がある。もと紀州根来山の学頭寺智積院であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、学頭玄宥僧正は、難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長六年(一六〇一 ) に豊国神社境内の坊舎と土地を与えら…
『興聖寺(こうしょうじ) 臨済宗興聖寺派本山。山号を円通山と号する。 慶長八年(一六〇三)、戦国武将で茶人の古田重然織部(一五四三~一六一五)が虚応円耳禅師を開山として創建した。 後に陽成天皇及び御水尾天皇の勅願所となる。当初は顕密兼修の寺院であっ…
『今熊野観音寺 略縁起 観音寺は八二五年頃(平安時代)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創されました。御本尊は大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を胎内仏として自ら彫刻された十一面観世音菩薩であります。後百河上皇は、当山を深く信仰されて新…
霊源院(東福寺塔頭 東山区本町) 『寺の歴史 霊源院は、臨済宗東福寺派の大本山 東福寺にある二十五塔頭の一つです。 前身は、延文年中(一三五六~六一)に開かれた塔頭天護庵と伝えられています。 霊源院として成立したのは、開祖「在先希譲」が応永七年(一…
『臨済宗東福寺の塔頭寺院である。貞和二年(一三四六)東福寺第四三世住持性海しょうかい霊見れいけんによって創建され、応仁の乱の災火により一時荒廃したが、慶長四年(一五九九)安国寺あんこくじ恵瓊えけいによって再興された。 客殿は、再興時に恵瓊に…
大石神社 『大石神社 この神社は、昭和十年赤穂義士大石良雄の義挙を顕彰するため、大石を祭神として創建された。大石の山科旧居は神社の付近にあった。毎年四月十四日の春季大祭と十二月十四日の討入りの日に義挙記念祭が行われる。大石は、赤穂城の明け渡…
一言寺は山科盆地の南部にある。山科盆地だが、行政区としては伏見区に入る。先日このブログで取り上げた醍醐寺の南側に近い。旧奈良街道から東の方の山へまっすぐ上がっていくと、山腹の途中にお寺はある。とは言っても、このすぐ近くまで山の斜面に沿って…
『清凉寺(嵯峨釈迦堂) 五大山と号する浄土宗の古刹で、「嵯峨釈迦堂」の名で知られている。 この地には、一説では『源氏物語』の主人公の光源氏のモデルであったといわれる源融の山荘、棲霞観があり、融の没後、棲霞寺としたのが当寺の始まりである。天慶八…
京都御所のすぐ東側に面している。普段から開門されていて境内に入ることができる。 但し境内の途中で柵が設けられ、そこから先は入れないようになっている。本堂の反対側に広い庭園があり特別公開時に入ることができるようになる。しかし紅葉という点では境…
今日は2025年12月8日。普段のいつも通りの1日が過ぎていく。私は曇り、そして 小雨の中、京都市内の神社に紅葉の撮影に行ってきた。天候は悪かったものの写真に撮ると、赤い色が鮮明に浮かび上がる。一眼カメラでもそうだが、スマホでもなかなか綺麗な色の写…
(国宝 唐門(表)) 醍醐寺の総門をくぐると、仁王門までの長い参道を入ったすぐのところに三宝院の入り口がある。チケットはこの入り口や仁王門でも購入することができる。三宝院だけの見学、あるいは醍醐寺とのセット、そして宝物館との3セット・チケットも…
今年も紅葉の季節となり、 11月20日からあちこち回り始め撮影を開始した。基本的には青空の見える日を選んで出かける。夏の猛暑に対してメディアの天気予報などでは、秋はかなり短いのではないか、紅葉はひょっとしてあまり見られないかもしれないなどといっ…
長栄寺は堀川上御霊前通り交差点の西の方にある。周辺は住宅街となるがお寺もかなり密集しており、かなり大きなお寺も多いところだ。寺の門は街道沿いにはなく細い通路があるだけで非常に分かりにくい。しかしその通路の入り口に大きめの石が置いてあって、…