2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧
2023年も本日で終わり。本日で終わり。なんだかんだ思いながら言いながら、なんとか無事に生き通すことができた。 5月に食道がんの寛解が言い渡され、 ほっとしたのもほんのひととき。今度は激しい胃痛が続き何事かとまたまた日赤へ行くと、胃カメラのモニタ…
2023年も本日で終わり。本日で終わり。なんだかんだ思いながら言いながら、なんとか無事に生き通すことができた。 5月に食道がんの寛解が言い渡され、 ほっとしたのもほんのひととき。今度は激しい胃痛が続き何事かとまたまた日赤へ行くと、胃カメラのモニタ…
『向島城 文禄3年(1594)に、あるいは慶長元年(1596)に築城されたとも伝わっている。この城は伏見城の出城とも、月見の城とも、また、逃げ城であったともいわれてる。向島の堤には桜並木が植栽され、川角太閤記には「向島おどり」の記録がある。慶長大地震に…
『向島城 文禄3年(1594)に、あるいは慶長元年(1596)に築城されたとも伝わっている。この城は伏見城の出城とも、月見の城とも、また、逃げ城であったともいわれてる。向島の堤には桜並木が植栽され、川角太閤記には「向島おどり」の記録がある。慶長大地震に…
『萬福寺は 江戸時代初期の承応3年(1654)、 中国福建省から渡来された隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の尊崇を得て、寛文元年(1661) に開創された日本三禅宗のひとつ、黄檗宗 (おうばくしゅう) の大本山です。 黄檗宗の儀式作法は中国明代に制定さ…
『萬福寺は 江戸時代初期の承応3年(1654)、 中国福建省から渡来された隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の尊崇を得て、寛文元年(1661) に開創された日本三禅宗のひとつ、黄檗宗 (おうばくしゅう) の大本山です。 黄檗宗の儀式作法は中国明代に制定さ…
『善法律寺 奈良唐招提寺末で律宗に属す。鎌倉時代、正嘉年中(一二五七~ 五九)石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたことに始まる。 室町時代には、善法寺通清の息女紀良子が足利三代将軍義満を生んだことから将軍家と…
『善法律寺 奈良唐招提寺末で律宗に属す。鎌倉時代、正嘉年中(一二五七~ 五九)石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたことに始まる。 室町時代には、善法寺通清の息女紀良子が足利三代将軍義満を生んだことから将軍家と…
『由緒 大正5年9月13日創建 文武の功績こよなき乃木希典命とその良妻であられし乃木静子命を鎮め祀る。 明治の御範新、爾來國運の進行を園らせ給ひける明治天皇は、明治四十五年七月三十日、崩御あそばせし。 天皇の「朕が百年の後は必ず陵を伏見に登むべし…
『由緒 大正5年9月13日創建 文武の功績こよなき乃木希典命とその良妻であられし乃木静子命を鎮め祀る。 明治の御範新、爾來國運の進行を園らせ給ひける明治天皇は、明治四十五年七月三十日、崩御あそばせし。 天皇の「朕が百年の後は必ず陵を伏見に登むべし…
『元慶寺 天台宗の寺院で、華頂山元慶寺という。本尊は薬師瑠璃光如来。 六歌仙の一人として知られる遍昭が、陽成天皇降誕に際して貞観十年(八六八年)に定額寺と称して建立した。元慶元年(八七七年)に清和天皇の勅願寺となり、元慶寺と改めた。 寬和二年(九…
『元慶寺 天台宗の寺院で、華頂山元慶寺という。本尊は薬師瑠璃光如来。 六歌仙の一人として知られる遍昭が、陽成天皇降誕に際して貞観十年(八六八年)に定額寺と称して建立した。元慶元年(八七七年)に清和天皇の勅願寺となり、元慶寺と改めた。 寬和二年(九…
『乙訓寺 真言宗豊山派長谷寺の末寺。洛西観音霊場第六番札所。本尊、合体大師像。 寺伝によれば、推古天皇の勅願によって聖徳太子が開いたとされる。長岡に都があった延暦四年(七八五)に早良親王(桓武天皇の弟)が幽閉された地として、また嵯峨天皇の弘仁二…
『乙訓寺 真言宗豊山派長谷寺の末寺。洛西観音霊場第六番札所。本尊、合体大師像。 寺伝によれば、推古天皇の勅願によって聖徳太子が開いたとされる。長岡に都があった延暦四年(七八五)に早良親王(桓武天皇の弟)が幽閉された地として、また嵯峨天皇の弘仁二…
毎年紅葉シーズンになると近くにある宇治川沿いの紅葉を撮影しに行く。同じ風景を何度も見ているが、行くたびにその良さや新たな発見などもあって十二分に楽しめる。今回はさらに近くに転居したためゆっくり歩いてもいけるが、たまには自転車も利用しようと…
毎年紅葉シーズンになると近くにある宇治川沿いの紅葉を撮影しに行く。同じ風景を何度も見ているが、行くたびにその良さや新たな発見などもあって十二分に楽しめる。今回はさらに近くに転居したためゆっくり歩いてもいけるが、たまには自転車も利用しようと…
『光明寺 西山(せいざん)浄土宗総本山。建久九年(一一九八)、法然上人の弟子・蓮生法師(熊谷次郎直実)が、師のすすめによってこの地に草庵を開いたのが始まりです。 その後、法然上人の高弟である證空上人とその弟子達に受け継がれてきました。 光明寺…
『光明寺 西山(せいざん)浄土宗総本山。建久九年(一一九八)、法然上人の弟子・蓮生法師(熊谷次郎直実)が、師のすすめによってこの地に草庵を開いたのが始まりです。 その後、法然上人の高弟である證空上人とその弟子達に受け継がれてきました。 光明寺…
(勝持寺山門) 『御由緒 大原野神社鎮座の一帯は山城地方でも古くから開けたところで一萬年も以前の有柄尖頭器が山の手から發見されている。人皇五十代桓武天皇か都を奈良から京都向日市を中心とした長岡京(七八四〜七九四)に遷された時鷹狩を愛した天皇は…
(勝持寺山門) 『御由緒 大原野神社鎮座の一帯は山城地方でも古くから開けたところで一萬年も以前の有柄尖頭器が山の手から發見されている。人皇五十代桓武天皇か都を奈良から京都向日市を中心とした長岡京(七八四〜七九四)に遷された時鷹狩を愛した天皇は…
『勝持寺(花の寺) 小塩山と号する天台宗の古刹である。 歌僧の西行がこの寺で出家したと伝天られ、西行法師が自ら植えたといわれる八重桜「西行桜」があることから、「花の寺」として親しまれるようになった。 寺伝によれば、白鳳八年(六七九)に役小角のるび…
『勝持寺(花の寺) 小塩山と号する天台宗の古刹である。 歌僧の西行がこの寺で出家したと伝天られ、西行法師が自ら植えたといわれる八重桜「西行桜」があることから、「花の寺」として親しまれるようになった。 寺伝によれば、白鳳八年(六七九)に役小角のるび…
『宝菩提院 願徳寺 当寺は山号を仏華林山 宝菩提院 願德寺とする天台宗の寺院である。 寺伝によると奈良時代の少し前、白鳳八年(六七九年)に持統天皇の願いにより、向日市寺戸に創建された寺院で、当時は一キロメートル四方に伽羅のある、天台密教の秘法を行…
『宝菩提院 願徳寺 当寺は山号を仏華林山 宝菩提院 願德寺とする天台宗の寺院である。 寺伝によると奈良時代の少し前、白鳳八年(六七九年)に持統天皇の願いにより、向日市寺戸に創建された寺院で、当時は一キロメートル四方に伽羅のある、天台密教の秘法を行…
『妙覚寺は北竜華具足山と号し、京都日蓮宗名刹三具足山及び京都十六本山の一つである。 南北朝時代の1378年、竜華院日実(にちじつ)上人により、信徒で豪商の小野妙覚の四条大宮の邸に創建され、その後、二条衣棚に移ったが、豊臣秀吉による大規模な都市改…
『妙覚寺は北竜華具足山と号し、京都日蓮宗名刹三具足山及び京都十六本山の一つである。 南北朝時代の1378年、竜華院日実(にちじつ)上人により、信徒で豪商の小野妙覚の四条大宮の邸に創建され、その後、二条衣棚に移ったが、豊臣秀吉による大規模な都市改…
『智積院 真言宗智山派の総本山で全国に三〇〇〇余の末寺がある。もと紀州根来山の学頭寺智積院であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、学頭玄宥僧正は、難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長六年(一六〇一 ) に豊国神社境内の坊舎と土地を与えら…
『智積院 真言宗智山派の総本山で全国に三〇〇〇余の末寺がある。もと紀州根来山の学頭寺智積院であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、学頭玄宥僧正は、難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長六年(一六〇一 ) に豊国神社境内の坊舎と土地を与えら…