
『地域の皆様へ
七条第三学区石ヶ坪の行者さん
西七条は昔から良い水の出所で御前通り塩小路西に水薬師寺があり平清盛が熱病で死の床についた時この水で頭を冷やしています。
また有名な一休和尚はその師匠のために看病の水を汲みに来ています。西大路八条の若一神社にも 名水が出ています。
この石ヶ坪の近辺で( 行者さん)と言われているところには古くから霊石があってそこから霊水が湧き後に不動さんの石像も作られました。
少し 北には赤社町という町内があります。赤社町の由来は不明ですが 赤はアカでインドの仏教の言葉で閼伽と書き 仏教にお供えする水の信仰に関連するかもしれません。
この石ヶ坪の行者さんには 江戸時代後期から 大峯熊野の信仰があったことが分かっています。 特に信仰の篤い人は 修験道を統括していた三井寺から免許をもらい 先達となり修行者の指導をしていました。』
(説明書きより)

「石ヶ坪の行者さん」は西大路五条の交差点近くの京都市立病院を、真南に約100m 行ったところにある。
現地に着くと赤い色の柵や祠などなど、結構派手な場所があってすぐにわかる。「石ヶ坪の行者さん」といった名前も何もなく、少し広めの土地にはかなり無造作に様々な施設というか、お堂と言うか祠というか、そういったものが比較的多くあって、それぞれに石地蔵や 石不動明王などなどが祀られていた。のぼり旗も赤い色でよく目立ち、お参りする人のために椅子なども用意され境内というか、一帯はそこそこ清掃も含め整備されている。
しかし一見したところお寺なのか神社なのか迷ってしまう。祀られているものから言うと やはりお寺扱いなんだろう。しかし社務所や本堂などといった建物は一切ない。あるものは上記のようにあちこちの祠に石造仏などが安置されていて、それが参拝の対象となっているようだ。おそらく手入れはこの辺り一帯の町内会で行われているものと考えられる。

上にあるような説明書きがあったが、全体的には霊水があってこれが信仰の対象となり、 本来お寺でも何でもなかったところが石造仏などが集められて、お参りもできるようにした場所だと思える。従ってそういった意味では一般的に言う「寺院」とは別物であり、山号も寺名もなく、町内会の名前をとって「石ヶ坪の行者さん」といつしか呼ばれるようになったんだろう。石造仏そのものはさほど古いような感じはせず、かと言って新しくも感じない。 それ相応に年月は経っているんだろう。平清盛や一休和尚という名前も見えるが、ただ単なる言い伝えなのか、あるいは本当にここの水を汲んで行ったのか、その辺りはわからない。 何らかの古文書にでもそのような記録があればいいのだろうが、説明書きにはそのあたりは見られない。
いわば霊なる水というものから、民間信仰的に近所の人々が崇めるようになった場所だと言える。そういった意味ではお寺としての構えはなく、近辺の人たちが自ら整備して今に至っているいわれのある場所だということになるんだろう。
