金札宮

『金 札 宮
天平勝宝二年(七五〇)、流れ星が降る異変があった。
伏見(高天原より臥して見たる日本のこと)久米の里に白菊を植え楽しむ翁がいたと伝説が残されている。
「吾は、天太玉命で天下の豊秋を喜び、秋ごとに白菊を賞でていた。もし千天で稲が枯れる時には白菊の露を潅がむ。」と手に持った白菊を打ち振るうと、清水が湧き出でて村人等は喜びに満ちた。
「人々一度この白菊に潤えば、たちどころに福運が来て家運は隆盛し、子孫繁栄、火の禍から除かれる。」と御神徳が伝う。
祀られるのは三柱の祭神である。まず、天太玉命は、天照大御神が天の岩戸に幽居された時、諸神等を率い、大御幣を棒持して祈祷した。次に、天照大御神は、伊弉諾大神が左の御目を禊ぎ洗いし時に、天下の主となる太陽神と生み給った。さらに倉稲魂命は、食物を主宰する神である。この神々が伏見の里より耕業を盛んにして五穀豊穣と平和な帝都を守護するために、鎮座された。
京 都 市』
(駒札より)
『金札宮の由来 御鎮座および沿革
天平勝宝二年(七五〇年)長き二丈におよぶ流れ星が降るという異変があり、孝謙天皇が深く憂慮されていた時、伏見久米の里に翁が居て、白菊を植えて楽しんでいる所業が、いかにも奇妙なので、里人が翁に名前を問うたところ、『吾は、太玉命で天下の豊秋を喜び、 年久しく秋ごとに白菊を賞でて来たり、もし干天で、稲が枯れる時には白前の露を潅がむ。』と、手に持った白菊を打ち振るうと、たちまちにして、清水が湧き出てきて尽きる事がない。そして言われるには、『人々 一度この白菊に霑えば、たちどころに福運が着て、家運は長く隆盛し、子孫繁栄
し、火災の禍から除かれるであろう。』里人は、この奇端に驚き天皇に秦上したところ天皇は事のほか喜ばれ(金札白菊大明神)のを宸斡を里人に与えられたので、里人はカを合わせて社殿を造営したと記録されている。
伏見(高天原より臥して見たる日本の事)に宮居建設中、突然金の札が降り、札には、永く伏見に住んで国土を守らん、という誓が書いてあった。 何事かと人々が集まって来るうちに、虚空から声がして、『我こそは天照大神より遣わされた天太玉命なり、我を拝まんとすれば、なお瑞垣を作るべし』と、聞こえたという話になっている。
三柱の祭神
天太玉命(白菊大明神)(あめのふとだまのみこと)
天照大御神が天の岩戸に幽居された時、天太玉命は、天児屋根命、手置帆負命の諸神等を卒い、大幣を捧持して祈祷し、大神を和し奉る功績がある。御名を太玉と言うのは、太玉串(大幣)の省かれたるによる。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に禊祓し給いて左の御目を洗い給ひし時になりませり、と古事記にあり。日本書紀には、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、二神がカを合わせ大八州國を経営し給いて、山川尊木の霊を生み給うや、相謀りて如何にぞ天下の主を生まざらめやとして大御神を生み給うとある。大御神は我が国家皇室の御祖神で永く伊勢に斎い祀られ給ふ。
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
食物を主宰する神である。日本書紀には、伊邪那岐神、伊邪那美神、二神の御子とあり、古事記には、須佐之男命の御子と伝えられている。天太玉命の命により五穀の種を、伏見の里に蒔き、耕業を盛んにならしめた神徳から金札宮の本殿に祀られる。
五穀豊育、火難除去、家運隆昌の祖神でありこの神は、斎元の主なる故、
総じて人倫之心地に宿って邪悪の情を祓い、正直の道に帰らせしめ、
諸事道理に順って縁熟を持たしむという。』
(パンフレットより)

金札宮を訪れるのは数年前から2回目となる。
近鉄及び京阪電鉄の丹波橋駅から歩いてすぐだ。車で行く場合にはコインパークということになる。この一帯は伏見の酒蔵が並ぶ地域であり、又は幕末の様々な事件の舞台になったこともあって、観光スポットとして運河と共に非常に綺麗に整備されており、訪れる人が多い。やはり坂本龍馬や高杉晋作といった名前に惹かれてやってくる若い女性もとても多い。その北部に金札宮がある。
それにしても金札宮とは、なんともおめでたい名前だし、是非ともあやかりたいと思うのは資本主義の世の中にあって当然だろうと思う。このお宮さんの詳しいことについては、独自にホームページが設けられているので、そこを見ることによって大概のことはわかる。一応上には金札宮で頂いたパンフレットと境内の駒札の記述を載せておく。
奈良時代の西暦750年という数字があるが、これは「金札宮」という名称と共に、あくまでも伝承によるものであって、歴史的な事実とは異なると言われている。社伝にもあるらしいがやはり伝承を元にして書かれているようだ。そういった意味では、この神社の創建やそれ以降の沿革については、詳細は分かっていない。それでも平安時代あたりには創建はされていたのではないかと考えられている。
この地域にあった旧久米村のお宮さんとして最初は存在していたようだ。その頃以降の名前は全く別のもので、長い歴史を歩んできたが、明治になって神仏分離令から金札宮と名乗るようになったらしい。もちろん社伝にある伝承の内容から取られた名称だ。
お寺の周辺は住宅や会社の密集地で、背後にはマンションがそびえている。場所柄仕方がないと言えば仕方がないが、とても落ち着いた場所とは言えない。神社の前を車がしょっちゅう走り回ってるし、境内も月極駐車場として貸し出されていて、元々狭い境内が更に車でいっぱい。そんな中に拝殿や本殿、社務所などが所狭しと並び、末社もずらりと並ぶ。
そして中央には、これこそ神社の証とも言える巨木がそびえ立つ。この木は京都市の文化財に指定されているようだ。まぁそんなこんなで簡単に言えば、ぎゅうぎゅう詰めの神社という印象。神社ということで、静かな参道が続き、高い木々に囲まれた静かな落ち着いた雰囲気というものを普通は想像するが、やはり都会の中ではなかなかそうもいかない。しかしこれはこれで密集地の中で、あってもいいのかなという感覚もある。
祭神についてもパンフレットの説明にあるように、何れも記紀に出てくる神様ばっかりだ。基本的には商売繁盛のお稲荷さんの神と重なっている。金札宮の名前の通り、金運、商売繁盛、そして家族安泰といったものをご利益として受けることができる。同時にパワースポットとしても知られており、平日でもお参りに来る人は結構多い。交通の便も良い事だし、是非訪れて金運アップにつながればラッキーだと思っていいだろう。