
定年退職から10年経った。退職後は再任用で2年間務める予定だったが、父親の介護のためにそれは叶わなかった。いくつかの学校から講師の依頼もあったが、全部断らざるを得なかった。
結果的に四年間、介護生活が続き自分が思い描いていた老後の生活は、ただひたすら介護となり、それにかかわる入院、手術、そして出費に費やされた。自分自身の父親だから当然だろう、と多くの人は言うだろうが、自分なりに昔から確執があり、本来望むものではなかった。しかし同居している以上仕方がないというのが実態だ。色々と福祉施設にお世話になっても、そこでトラブルを起こしたり、自分勝手な振る舞いで結局辞めさせられる。そういうことが何回かあって、より小さな施設へ送迎通所することになったが、そこも本人にとっては面白くなかったんだろう。結局行かずじまいで勝手にやめてしまった。歳を取るとともに当然足腰が効かなくなり、室内でもよく転倒したりしていた。その都度身体的介助をしなければならない。いやが応にもストレスは溜まる一方。そういったストレスの発散口も何もなく、退職1年目の秋には自分自身の精神状況が完全に疲弊してしまい、鬱状態にまで陥ってしまう。
それでも何とか四年間乗り切って、父親は入院中の病院の中で深夜に息が止まって亡くなった。正直なところほっとしたものだ。92歳、平均寿命からしても十二分に生きたことになる。本人は死ぬのを怖がっていた。しかし来るものは来る。特に涙をが出ることもなく、淡々と家族だけで見送った。そこから私自身の独居生活が始まることになる。
これでようやく残りの人生、自分のしたいことができると思った。でも精神的に参っていた自分自身の感情というものは、そう簡単には元に戻らず、これからいったい何をしようか、考えてみれば目標がいつのまにか消え去っていた。現職中は退職後、車で日本一周するのが目標だった。自転車などで日本一周するという人が現れて、ニュースや新聞でも取り上げられるが、そんな大層なことは考えていない。車でのんびりと日本の旅を楽しめればいいと考えていたのだ。
でも悲しいかな、自分自身が精神的に受けた傷というのは思いのほか深く、モチベーションを保つことが全くできない状態。そういった目標よりももう少し身近で済むようなものがないのか、ということを模索し始める。何から手をつけようか。そこで思い立ったのが軽い運動をしながら、少し太りすぎた体重を減らそうということで、毎朝ウォーキングをすることを思い立ち、実施することとした。
退職から既に5年経過していた。自分なりに近辺の様子をわかっているので、主要な2コースを選択し、標準コースの3km 余り。少し長めの5 km弱のコースを設定。前者で所要時間が約40分。後者で1時間弱。これを毎日交互にというパターンにして始めた。その頃は今と違って毎朝7時までには起きていたので、すぐ朝食を摂り7時半には家を出る。外はすでに通勤ラッシュの車でいっぱいだ。渋滞はあちこちで見た。
ちょうど付近の小学校の児童達の、集団登校と一緒になり、長い坂道を登っていく。児童達は当然静かに隊列組んで歩いて行くわけではない。皆さん集団の中でそれぞれのグループがあって、お互いに色んな話ししながら歩いて行くのだが、その会話の内容が非常に面白い。私自身は中学校に勤めていたので、特に集団登校というのはなかったが、小学校は1年生から6年生まであり集団登校と下校は欠かせない。じゃんけんして負けた者が他の子の荷物を次の電信柱まで持って、そこでまたじゃんけんして、などと遊びながらゲームしながら、ケラケラ笑いながら学校へ向かう。それを見てるだけでも随分気持ちが癒される。こうしてそのこと自体が楽しみの一つにもなった。
ウォーキングで特に気をつけたことは、少し大股で腕を振って速めに歩く。背筋は頭を含めてピンとまっすぐに伸ばす。そのことを意識してやや早足で歩いた。ある日コースの途中で、家の前をほうきで掃いているおじいさんから、随分姿勢がいいですねと声をかけられた。こうして生活の中に朝のウォーキングがほぼ完全に根付いた。朝一番に通院のある日などは、夕方に行ったものだ。ところが夏など汗だくになって歩いても、体重は一向に減らない。やはりウォーキング程度ではダメなのかということで、二つのコースともに前半はウォーキング、後半はランニングという形にした。ランニングなどというのは高校時代、校内マラソン大会というのがあって、それに向けての練習で毎晩ランニングしたことがありそれ以来だ。
ランニングを始めると、しばらくすると自分でもはっきり分かるくらいに、どんどんスピードがついて、走ること自体が楽になるのがわかる。所要時間も必ず毎回計っているが、徐々に記録が短縮されていく。それも一つの励みになって走ること自体が楽しくなる。しかし陸上のトラックを走っているわけではないので、あちこちの歩道は石畳が浮いたり沈んだりガタガタだ。そこにつまずいて派手に転倒し、顔面を強打すること数回。ある時などは左目を直接石畳に打ちつけて、一瞬失明したのか、眼球破裂したのかと思ったりしたこともあった。膝と肘は出血。そんなこともありながら自分なりに頑張って続けたものだ。
でもそれでも体重は減らない。いったいなぜなのか。よく考えれば朝は普通に食べているが、昼は毎日外食で、牛丼やカレーなどを大盛りを食べていたし、晩御飯もかなり多めに食べていた。そして毎晩必ずビール。やはりこれではダメなのだと思ったが、食欲には勝てない。そんな状態のまましばらく体重変わらずに続いた。そして2017年を迎える。
毎年梅雨時に市の健康診断がある。その中の胃がん検診をバリウムを飲むという形で行なっていたが、「医者はバリウムを飲まない」ということを聞いて、生まれて初めて病院で胃カメラを予約し検査してもらうことにした。その結果、食道癌が見つかったというわけだ。日にちの余裕なく紹介された大病院へ入院、即手術。そしてしばらく入院生活。ステージ2ということで、腹腔鏡手術のプロフェッショナルの先生が担当してくれたので、手術自体は成功し今に至る。
退院後、生活は大きく変わる。手術そのもので体重は一気に約13 kg 減った。しかも食べる量も多くは食べることができない状態になってしまった。つまり必然的に少食になったのだ。しばらくは激しい運動はしないということで、ウォーキングは休止。数ヶ月後にウォーキングのみ再開。ランニングは転倒の危険性があるので基本的には止めている。今では標準コースのウォーキングのみだ。姿勢や早足歩きは意識してやっている。でも生活リズムの大きな変化で、起床時間が少し遅くなり、朝食の所要時間もゆっくりしか食べることができず、ウォーキングのスタート時間が大きく遅れた。かつてに比べれば1時間以上遅い。小学生の楽しい登校風景も見ることはできない。
そういうわけで今ではたった一人で、前半の長い上り坂、後半の長い下り坂を往復している。決して無理することがないように、起床時間がかなり遅くなった場合には休止している。何かに憑かれたようにウォーキングしなければ、という義務的な感覚でやると精神的にもあまり良くないだろう。そういうわけで年齢のことも考え、今では特に夏場は熱中症の危険もあるので、朝から猛暑の時には休止としている。本来ウォーキングという軽い運動は毎日でなくとも、週に2~3回でも効果があると聞いている。
体重はあえて落とす必要もないので、今の目的は朝の目覚めと気分転換。そして足腰の鍛錬。これからさらに歳をとっても自分の足で歩けるように、との準備を兼ねている。そんなウォーキングだ。同じような歳の人でウォーキングしている人は数多い。毎朝似たような時間に歩いているので、当然同じ人とすれ違ったりしている。あるいは同じ方向に歩いていても同じお年寄りにどんどん抜かれていく。あくまでもマイペースで、姿勢を意識して将来の健康持続のために、との思いでこれからも続けることになるだろう。