
コロナ禍の中でここ京都府も緊急事態宣言が発せられ、不要不急の外出の制限や飲食店など様々な所に影響を与えている。不要不急と言われても何がそれに該当するのか、明確な基準がはっきりしているわけではないので、個々人が自らが思う不要不急というものを設定しながら、日々の生活を送っているんだろうと思う。
正しく私自身もそのような一人だ。独居生活の中でまずは何と言っても食べ物が第一の大きな問題。幸いなことにすぐ近くに大型ショッピングセンターがあって、食べ物はいつでも買える。生鮮食品専門のスーパーもある。しかし一人なので3日に1度の買い物としている。逆に言えば買う食品は朝と夕ご飯の、2食分の三日分だ。もちろん野菜も三日間に分けて食べる。昼はコンビニで巻き寿司、あるいはおにぎり。そして缶コーヒーと決めている。おかげで食費は随分安く収まることになる。1ヶ月で2万いくらかと言ったところだろう。
しかしこのような外出というのは精神的にストレスが貯まる。 やはりストレス解消になるような自分自身のしたいこと、趣味にしていることなどが少しでもできれば、この点大いに改善というわけで、ブログを書いているのだが、もうすでに神社やお寺の写真のストックはとっくになくなってしまい、新たな寺社訪問することができないままでいる。近辺は概ね撮影し終えて、まだのところは片道でも車で1時間以上といった具合になる。密な所へは行きたくないので、なるべくなら京都市内を外してその近辺の衛星都市などを廻れればということで、今は好天の日に限って、カメラ持って以前に訪れたところを再び撮影しているという状況だ。だから改めてブログに載せるということはしない。再撮影で以前よりも綺麗な写真が撮れればよかったな、と悦に入って自己満足を覚える次第だ。
今日は朝から真っ青な空に少し白い雲。絶好の撮影日和。昼過ぎに伏見区の日野誕生院と萱尾神社を訪れた。もちろんどちらもブログにアップ済み。萱尾神社は随分久しぶりだ。江戸前期に再建された本殿は、京都市の指定文化財だ。写真を見ていただくと分かる通り、何年か一度に塗り替えられ見事な極彩色。本来神社というのは、本殿はどこでもこのような派手なものであるらしい。このような神社というのがいつ頃から日本では建設され始めたのか。諸説あるが、神社の前に「神道」という宗教がどのように発生してきたのか、という問題がある。
実はこれも学者専門家によっても様々な意見があるらしく、完全な決めてというものは定まっていないようだ。日本における原始宗教は世界各地のそれと同様に、本来はアニミズム的なものから発祥したと言われる。それが人々の住んでいた比較的近くにあった、巨石であったり山そのものであったり、太陽や様々な形で神格化するようなものが、人々の気持ちを何らかの形で捉えたんだろう。神社という形態をとるという意味では、奈良県にある神社が日本一古いなんて言われているが、それも本当かどうかは疑問がある。他にも福岡県や淡路島にも日本最古という神社がある。ところだアニミズム以降、具体的な形で残っている現存する最も古い例と言われるのが、福岡県の日本海側に位置する小さな沖ノ島に見られると言う。島全体が福岡県の宗像神社によって管理されており、一般人は立ち入り禁止。島に社務所があって確か10日交代だったと思うが、神職の方が交代で毎年ずっと島を守っているという形になっているそうだ。
ここには原始的なアニミズムから生まれたと思われる巨石信仰の場が残っていると言う。いくつかの巨石が陸上に不揃いな形でたまたまあったところに、明らかに人工的に形を整えた石を置いてそれに祈りを捧げていたと考えられている。江戸時代にはそこに祠が建てられ、小さな神社の形式となったようだ。
今では神社というのは様々な祭神が祀られており、その後利益に与うと人々は参拝に訪れる。でも原始的な神というのはそういう性格のものではなく、自然の大雨、台風、大火災といった災禍から、自分たちの身をなんとか守るために神の怒りを鎮める目的で祀られたものだと考えられているようだ。
しかし今現在の神社とはそういった意味では、性格はかなり違う。第一拝殿や本殿といった建物の形式が見え始めるのは、比較的新しいとされている。すでに縄文から弥生時代にかけては大陸との交流があったのは確実で、中国や朝鮮には日本の神道にあたる宗教的なものはなく、日本における神道の勃興とその発展広がりは、中国の道教、密教などが都合よく取り入れられ、日本独特の形態として発達してきたものだと考えられるらしい。そういった点からは神社のいわゆる「由緒書き」というものも、どこまでが正しくどの点が 作り話なのか、ということも考える必要がある。背景には平安時代になって編纂された「古事記」や「日本書紀」の記述の中にあるとも言われ、当時の天皇による権力支配が歴史的経緯も含めて、都合のいいように人々に分からせるために作られたものだと考えられているようだ。
その後の歴史を経て、平安時代には権力者達の都合のいいように「神仏習合」が進められ、神社がお寺の鎮守社として人々の信仰の対象として定着するにつれ、いわば朝廷の支配力はそのぶんだけ強くなっていくと言う考え方があったんだろう。明治になってから神仏分離令が発せられ、更には廃仏毀釈の中で仏教が強い勢力を得た事を潰す目的で、神社が天皇家との関わりを密にするよう仕組まれ、今に至っているものだと考える。そうすると各神社に伝えられている様々な伝承話というのは、一体どういう意味を持つものなのか。
本当にあったことが少し脚色されて、人々の間に広められたのか。あるいはまた全くの作り話にすぎないものなのか。それは分からないが、概ね様々な話を聞いているとやはり作り話的なものが多いように思われる。そこにはただ単に一般庶民の人々の様々な想いが込められた部分もあるのかもしれないが、それとは別に朝廷の貴族や後の武士の政権における権力者たちの意図なども、見え隠れするように思う。やはりどんな形にせよ、宗教というのは圧倒的多数の庶民を支配するのに極めて都合が良かったものなのだ。