切れ切れ爺さんのつれづれ日記

京都の寺社紹介と多様な社会問題・闘病記等

2024年 梅の花 法伝寺(荼枳尼天)・・・小名所   京都市左京区 2024.2.24 訪問

  

『由緒
 大文字山を東に、またひときわ高くそびゆる霊峯比叡を仰ぎ、現存する鈴声山真如堂山門直ぐ左手に鎮座されます吒枳尼天尊は、弘法大師の御真作になる御尊像であります。
 その由来を尋ねまするに、吾が国において稲荷大明神ととして信仰される尊天は、皇統四十三代、元明帝の和銅四年(西暦710年)初午の日、はじめて此の土に出現されました次第であります。
 其の後幾星霜を経て皇統第五十代桓武帝の在世、弘法大師出世のみぎり、稲を荷える老と化現し給はって天尊が所依の本誓願をお宣ペになりました。それは「吾が本地吒枳尼天尊の真形を模刻し、あまねく衆生を利益、安楽ならしめよ」と大師に告げ給つた次第であります。
 かくして大師は御自身一刀二礼の作法を以て枳尼天の御尊像を彫刻し給ったのであります。故に世人は日本最初の稲荷大明神と尊称し奉り、古来より多年にわたりあがめ祭られて現在に至って参りました。 
 (以下、略)』 (『京都・山城 寺院神社大事典』平凡社より)

 

 真如堂の山門前に法伝寺がある。一見すると鳥居が前面に建てられており、誰が見ても神社と思うだろう。しかし赤い鳥の奥にさらにコンクリート製の鳥居が立つ。さらに奥には本殿があるかと思いきや、お寺の建物らしきものがある。鳥居の横には「吒枳尼天」と彫られた石柱が立っている。明らかに神仏習合のお寺ということになる。
 法伝寺は真如堂塔頭寺院であり、神社の祭神が吒枳尼天だ。鳥居横の石柱や建物の前に掲げられた提灯には、この名称が並んでいる。創建は鎌倉時代初期。

 吒枳尼天というのは、インドのヒンズー教の夜叉(女性の鬼神)から来ているものだ。人肉を食らうとされ、その絵姿はキツネに似た面があり、日本においては後にこれがキツネの稲荷と結びついて、稲荷神と同一視されるようになる。神仏習合のお寺と神社の関係において、その神社が稲荷社である場合には、お寺に吒枳尼天の像が安置されているケースが多いと言われる。ヒンズー教および日本に空海によってもたらされた密教にでは吒枳尼天は、かなりおぞましい存在であったとされるが、日本では時代とともにその雰囲気もかなり穏やかになり、戦国時代では武将たちがこぞって拝観したと言われるようになっていく。実物の吒枳尼天像はお寺によって秘仏になっているケースも多く、拝見するのもあまり機会がないかもしれないが、昔の絵図にはかなり多くの姿が描かれており、いずれもかなり穏やかな雰囲気の絵になっている。名前もヒンズー教のダーキニーから訛ったものとして「だきにてん」となったと言われる。

   

 この鳥居を横目に見た時に、一目で桃色の梅が数多く花開いているのが確認できた。これは全く意外でありノーマークのお寺だったのだ。正面から順に撮影していき、境内に上がって大きな梅の木に満開の梅の花が広がっている。なかなか壮観だと言える。梅の木々が何本もあるというわけではないが、1本の木から大きく枝分かれし、それぞれに花が見る者の目をひきつける。これだけで十分満足できる光景となる。もちろん法伝寺が桜の名所である などという記録はどこにも載っていない。私にとってみれば小さな名所というにふさわしいほどの見事な梅の花だった。