

『臨済宗東福寺の塔頭寺院である。貞和二年(一三四六)東福寺第四三世住持性海しょうかい霊見れいけんによって創建され、応仁の乱の災火により一時荒廃したが、慶長四年(一五九九)安国寺あんこくじ恵瓊えけいによって再興された。
客殿は、再興時に恵瓊によって建てられたもので、豊臣秀吉の没後、客殿の中にある茶室昨夢軒で、恵瓊、石田三成、宇喜多秀家らが、関が原の戦いの謀議を行ったと伝えられている。
庭園は、書院をはさんで南北二庭からなり、南庭は美しい苔に覆われた枯山水庭園で、北庭は池泉式庭園となっている。
地蔵堂に安置する高さ二メートルの地蔵菩薩像は、体内に小野小町に寄せられた多数の艶書を収めていたことから「玉章たまずさ地蔵」の名で知られている。
なお、慶応四年(一八六八)の鳥羽伏見の戦いの際には、東福寺に長州藩の陣が置かれていたことから、当庵はその戦いの殉難者の菩提所となっている。 京都市』
(駒札より)




東福寺のすぐ近くであり、この前を何度も行き来している。しかし門は開いているものの入れるのは門をくぐって20~30m くらい。つまり本堂への入り口の通路のようなものだ。しかし少し幅もあるので、多くのもみじの木があって紅葉期には見事な赤色を放つ。門を入ったすぐ横に地蔵堂があり、堂内には少し大きめの地蔵が祀られている。一応撮影禁止と書かれていたので、誰かいなくてもそれは守って拝観するだけで撮影はしなかった。


紅葉の時期であっても、あるいは他の時期であっても、特別公開というのはないようで、 このお寺が、本堂内及びその前に広がると思われる庭園を公開したことはないようだ。鎌倉時代の終わり頃の創建のお寺であり、是非とも歴史的にも貴重なお寺なので、是非とも拝見したいと思う。でもある意味、公開されていなくても開門されて、少しだけ内部に入って紅葉を見たり撮影したりすることができるのは、せめてもの寺側の好意と言ってもいいのだろう。その辺りは完全非公開という寺院も結構ある中で、誠意みたいなものを感じることができた。したがって他の季節でも緑の葉が豊かな光景もなかなかの見応えがあって、いい雰囲気をいつも感じることができる。

