切れ切れ爺さんのつれづれ日記

京都の寺社紹介と多様な社会問題・闘病記等

蝋梅を探して・・・京都御苑の宗像神社周辺  京都市上京区   2024.2.6  訪問



 京都御苑に蝋梅があるという情報を得て訪れる。 2箇所ほどあり、その1箇所である宗像神社近くに行ってみた。

   

 京都御苑は地元では「御所」と呼ばれて親しまれている。元々は平安遷都によって政権が京都に移り、天皇の政治が始められる。しかし武士勢力の台頭により鎌倉に幕府が成立し、 京都の天皇は実質上名目の権力者になってしまった。こうして実権は武士たちが握り、表向きの権力は京都の天皇にあるという二重政治のような形になる。天皇が住む御所については 内裏が設けられ、その中にあったが戦乱その他によって、京都盆地の中であちこちに移転し、南北朝が合一され室町幕府が開かれると、今現在の場所に確定する。その後豊臣そして 徳川の時代になっても、ずっと天皇京都御所から形式的な政治を進めることになる。
 その間幕府は江戸に移り、家康は江戸から政治を行う形になりそのまま幕末を迎え、明治維新となり、最後には明治新政府が誕生し、天皇は東京に移り同時に御所も東京に設けられた。京都御所は結果的に放置される形になる。京都御所の周辺には宮家や公家の大邸宅が約140軒集積していたという。それらは全て放置され荒廃していく。
 明治天皇が京都を訪れた際、その惨状を見てすぐに再整備するように勅命を出した。こうして京都御所は復活し、その周辺の公家の建物等は全て撤去され広大な土地が京都市のほぼ中心部に現れた。勅命ということでこれらの工事は相当な速さで進められ、かつての内裏の周辺には土塁が築かれ樹木が植えられ再整備される。
 戦後になってこの場所は正式に宮内庁が指定する「国民公園」として、御所を除いて広く 市民に解放されることになった。同時に東京の「新宿御苑」「皇居外苑」と共に厚生省が管理する国民公園として整備された。

     

 京都御苑内には 5万本を超えるという樹木が植えられ、巨木が数多く並んでいる。さらに 数か所の神社があり、宗像神社もそのうちの一つだ。最近では御所の近くに「迎賓館」が 賛否両論ある中で巨額の費用で建設され、国外からの賓客を迎えている。

  

 さて蝋梅の方は宗像神社の境内には見当たらず、そのすぐ北側に 比較的小さな梅の木が花開いており、その隣に蝋梅の木が小さな黄色い花を咲かせていた。正直、わずかこれだけかと思ったが、どうもそのようだ。広大なな御苑の中であともう1箇所あるとはいえども、あまりにも少ないのでこれは何とかもう少し公園整備の形で、梅の木や蝋梅なども植えて欲しいものだと思った。
 御苑内には大勢の人たちがベンチで休んだり話をしたり、ランニングをしたり、またレストラン 等もあるのでこれらが自由に開放され、楽しむことができる。もちろん場所が場所だけに、どの場所でもボール遊びができるというわけではない。そういった場合は限られて設けられている。
 蝋梅に関しては決して名所とは言えないものの、広い中での赤や白の梅とともに、黄色が目立っていた。