
『梅宮大社
奈良時代の政治家であった橘諸兄の母・縣犬養橘三千代が、橘氏の氏神として現在の綴喜郡 井手町付近に創建したのが始まりといわれる。 平安時代の始め、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(檀林皇后)によって現在の地に移された。
酒解神(大山祇神)、大若子神(瓊瓊杵尊)、 小若子神(彦火火出見尊)、酒解子神(木花咲耶姫命)の四座を祭神とする。酒解神の御子・酒解子神は大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田の稲をとって天甜酒を造り、これを飲んだという神話から、古くから安産と造酒の神として有名である。
また、皇子に恵まれなかった檀林皇后が、本殿の横に鎮座する「またげ石」をまたいで子どもを授かったことから、この石をまたげば子宝に恵まれると伝えられ、その下の白砂は安産のお守りとされている。
現在、本殿、拝殿、弊殿、廻廊、中門などがあるが、これらは元禄十三年(一七〇〇)の再建 によるものである。
庭園は、杜若や花菖蒲の名所として知られるほか、梅、八重桜、椿、つつじ、あじさいが美しい。
京都市』 (駒札より)

梅宮大社には何度も訪れている。特に春の梅、続く桜の花などなど年間通して様々な花々が咲き誇り、格好の撮影対象となる。大鳥居の横に無料駐車場があり、いつもそこに車を置いて参道まで出て順に撮影をしていく。祭神に酒造の神があり大きな門には多数の酒樽が並べられている。ここは場所がらすぐ近くを流れる桂川を挟んで、四条通りの西端にある松尾大社が、同様に酒造の神の大きな神社であり、境内いたるところに酒樽が並んでいるのとよく似た光景を見せている。
もちろん今回は蝋梅の花を求めて訪れた。とりあえず情報として蝋梅の名所にあげられていたということで楽しみにしてやってきた。好天の日であり境内にはそこそこの参拝客がいる。そして蝋梅以前に梅の花が門の前や境内、そして有料庭園の中に咲き始めていた。カメラを抱えた人々が盛んに撮影している。紅梅や白梅そして桃色の梅も見られる。全体としてはまだ5分咲きという程度。 2月終わりから3月にかけて全開となるだろう。梅撮影も大いに楽しめる神社だ。

境内には梅の木は何本もあって、花が咲き始めている。しかし見回しても黄色い花は見当たらない。やはり庭園の中にあるんだろう、というわけで有料の庭園に入る。梅の花はあちこちに花が咲き始めているが、満開ではないのでいわば シーズン初めという状態だ。池の水がほとんど抜かれていて整備作業が行われていた。そういった意味ではちょっと荒涼とした風景に感じた。とりあえず梅の花を少しずつ撮影しながら周回コースを進んでいく。次々に現れるのは梅の花ばかり。それはそれで咲きかけとはいえども綺麗なことは綺麗だ。この庭園に入って梅の鑑賞をしている人はまだ少ない。本格的なカメラを持って回っているのは、この日は全くの少数派。他の人はせいぜいスマホで撮っているという状態だった。

池の周りを終えて次の別の池のポイントに進む。ここまで蝋梅の花は全くなし。新たな 池でも梅や寒椿が見られる程度で、一体どこに蝋梅の花があるのかと不安になってくる。そしてこの2つ目の池の終わり頃にようやく大きな蝋梅の木を発見。この場所に数本の蝋梅が花開いていた。やっと到達した蝋梅の花でも神社の建物からはほど遠く、同じ画面に入れることはできない。つまり蝋梅の花や木を撮るだけだ。この点非常に残念。こういった点では とても蝋梅の名所とは言いがたく、あくまでも梅の名所であり、その中に蝋梅もありますよと言った感覚だ。何か撮影していても複雑な感情になってしまう。せめて本殿や拝殿がある 境内にも欲しかったところだ。

こうして蝋梅の花撮影目的は一応達成はできたものの、何か中途半端な気持ちで終えることになってしまった。もちろんスマホで撮影している人たちでも、蝋梅に注目している人はただの一人もいなかっただろう。皆さん咲きかけではあるものの、あくまでも梅の花がメインであってたとえ、5分咲きであってもそれ相応に満足感はあったのではないかと思う。まあこういうことで別に神社のせいでも何でもなく、ここはここで蝋梅の木も自生したのか、あるいは植樹したのかわからないが、あるにはあったというものであった。
